ヒカルと進撃のノアの件をきっかけに考える|オープンマリッジは心理的コストが高すぎる

日々のあれこれ

最近、YouTuberヒカルさんと進撃のノアさんが「オープンマリッジ」という形をとっていることがニュースになり、SNSでも賛否が飛び交っています。正直なところ、私は「そんな言葉があるのか」と思った一方で、「自分には絶対に無理だな」とも感じました。

まず大前提として、この件の是非について語るつもりはありません。

ただ、この話題をきっかけに「婚姻制度って何のためにあるのか」「人の気持ちをどう安定させていくか」ということを改めて考えさせられました。そして同時に、自分がなぜオープンマリッジに抵抗を感じるのか、その理由を掘り下げると「面倒さ」が大きな要因だと分かりました。


オープンマリッジという選択肢

オープンマリッジとは、婚姻関係を続けながら、互いに外の関係を認め合うスタイル。世界では聞くこともあるようですが、日本ではまだ耳慣れない言葉です。

挑戦的であり、柔軟であり、従来の結婚観に縛られない。そういう点では時代に合っているのかもしれません。

ただし、それを成立させるには「心理的な処理能力」が非常に必要だと感じます。私はそこに自信がない。だからこそ「面倒すぎる」という結論にたどり着くのです。


「面倒さ」の内訳

オープンマリッジに感じる面倒さは、いくつかの具体的な要素に分解できます。

嫉妬や不安を処理するコスト

頭では「お互い自由」と理解していても、感情はそう簡単に割り切れません。ふとした瞬間に嫉妬心が芽生えたり、相手がどこで何をしているのか気になったり。
この小さな不安を日常的に処理し続けるのは、かなりのエネルギーを使うはずです。

ルール作りと線引きのコスト

「ここまではOK」「これはNG」といったルールを明確にしておかないと、すぐにトラブルに発展します。けれどもそのルールも、状況や気分によって揺らぐもの。何度も話し合い、更新し続ける必要があります。
私はその交渉や微調整が何よりも苦手で、「また話し合いか」と思っただけで消耗してしまうタイプです。

周囲への説明コスト

日本の社会ではまだオープンマリッジは一般的ではありません。親や友人、職場の人に説明する場面が出てくると、「なんで?」と聞かれたり、偏見を受けたりするリスクがあります。自分の価値観を理解してもらうための労力も、決して小さくありません。

子どもがいる場合のコスト

子どもにどう説明するか、どんな環境が望ましいのか。これは非常に大きな問題です。子どもが理解できる年齢になるまでに、周囲との関係性や学校での人間関係にどう影響するかを考えると、心理的な負担はさらに増えるでしょう。

自分の時間を奪われるコスト

結局、外の関係を持つためには「時間」が必要です。その時間をつくるために調整したり、スケジュールを合わせたりするのは、自分にとって大きな負担です。私はむしろ自分の自由時間を仕事や趣味に使いたいので、「そこにさらに別の人間関係を加える」のは、どう考えてもエネルギーの赤字です。

こうやって整理してみると、「オープンマリッジが悪い」という話ではなく、単純に「私には維持するコストが高すぎる」という結論になります。


婚姻制度がもたらす安心感

婚姻制度というのは、人間の移ろいやすい気持ちを安定させるための仕組みだと思います。

気持ちは一晩で変わることもある。だからこそ「結婚」という制度の枠組みをつくり、社会的に認め合うことで、「変わらないもの」を意図的に固定する。これが人類の知恵のひとつなのではないでしょうか。

オープンマリッジは、その制度の枠組みを利用しながら、自由度も確保するという挑戦。現代的である一方で、人の心の複雑さや不安定さを日常的に受け止める強さが必要だと思います。


まとめ:人それぞれの「コスト感覚」

ヒカルさんと進撃のノアさんの選択は、当人同士の合意であり、そこに外から口を出すつもりはありません。けれどもそのニュースを見た私たちが「じゃあ自分にとってはどうか?」と考えることには意味があります。

私の場合は、「心理的コストを抑えたいから嫌だ」「刺激は恋愛でなく仕事で味わいたい」そんな答えに落ち着きました。

結婚やパートナーシップは、「愛しているかどうか」だけではなく、「維持するコストをどう考えるか」という現実的な視点も欠かせないのだと思います。


この記事を読んだ方が、自分自身の「心のコスト感覚」を少しでも意識するきっかけになれば嬉しいです。